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金澤翔子の母親はどんな人?書道家でダウン症の翔子を育てた実家の実力は?

投稿日:2019年5月3日 更新日:




世間では”ダウン症の天才書家”と呼び名の高い金澤翔子さん

障がいをお持ちなのに、とても力強くて素晴らしい作品を作っている金澤翔子さんの環境については誰しも気になるところだと思います。

今回は、金澤翔子さんのお母さんについて詳しく調べてみました。

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金澤翔子の母の金澤泰子も書道家である!

金澤泰子さんは、生粋のお嬢様というべき人で、その御両親も抜きんでた人だったようですね。

お母さんは千葉県出身であり、九十九里浜の近くにある山武市のご出身であり、明治大学を卒業しておられます(5人兄弟の3番目)。

この当時(1943年=昭和18年 生まれ)では、女性の四大卒はかなり珍しい状況であり、学力と実家の財力が伴わないと難しかったと思います。

父親は、国鉄(今日のJRの前身)の駅長(成田、両国、千葉などの駅長を歴任!)をしておられて名士さん、母親は慶応大学医学部卒ということで(当然医師!)そうとう上級な雰囲気の家庭に育っておられます。

そして、明大時代には文化人が集う『サロン』に出入りしておられたというのですから、驚きです。

戦後の新宿文化の担い手が集まっていたサロン(新宿の風月堂)には、寺山修司、横尾忠則、谷川俊太郎、安藤忠雄、馬場あき子(=歌人、文芸評論家)、唐十郎らがひっきりなしに顔を出していたということですね。

演劇や建築、文芸に長けた文化人の中に混じって大学生ながら、芝居見物などにも精を出すようになっていくのは当然の成り行きと言えると思います。

文化的には、極めて刺激的な毎日を送り、ほとんど大学にはゆかないものの、試験は受けて卒業はされるのですが、大学のことなど気にならないぐらい、周囲の文化レベルは高いのでした。

そして、大学卒業後 30歳で銀座にサロンを開くまでになるのです。

新宿の風月堂にならい、またフランス文学にあこがれの心を持っておられた金澤泰子さんは、ボードレールの恋人で若い才能の交流のためにサロンを運営していたサバチエ婦人にならって各界の著名人が集まるようになりました。

30歳にして、このようなことができたのも、ご実家に資金的にもいろいろと実力があり、サポートができていたのではないかと想像されます。

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金澤泰子は結婚・出産を経験するのだが…

そして、5歳年下の夫と趣味だった『能』をきっかけで知り合うようになり、やがて結婚に至ります。

ご主人は、会社経営をされていて財政的にも恵まれ、裕福で満ち足りた将来が待ち受けているかに見えたのです。

しかし、一つだけ問題がありまして、子宝がなかなか授からなかったことです。

2回も流産を経験して、41歳の時に再び妊娠することになります。

とにかく『為せば成る』的に、何でもかなえてきた金澤泰子さんとしては、はじめて壁にぶつかったかに感じた出産問題ですが、女児を授かることになります。

胎教で『女の子だったら、日本一の書道家に育てる!』と決心していたそうです。

ですが、生まれてきた女の子は、障がい児ということが判明しました。

金澤泰子さんの長女 金澤祥子さんはダウン症だと判明する

赤ちゃんが生まれて45日経過したときに医師から、翔子さんはダウン症であると告げられ、金澤泰子さんは目の前が真っ暗になったといいます。

「障がい児を生んでしまって、身内の人たちに申し訳ない」としきりと思ったとのことです。

医師から「知能が低く、一生歩けない子供になるかもしれない」と告げられ、その頃から母子で死のうと、そればかり考えて5年が過ぎ去りました。

ミルクを薄めて飲ませているうちに、栄養が行き届かなくなって衰弱死するのではないか?とか、坂の上からベビーカーを落とそうと考えたりしたり、悩みに悩んだということです。

ですが、そこは実の母親の心が許しません。

おなかを痛めて生まれた我が子のことがやはりかわいらしくて仕方がないのです。

(41歳という、今日でもかなり珍しい部類の高齢出産でしたので、障がい児になったことについて 母親には責任が低く、無理もなかったのかもしれません)

母親の複雑な心中とは裏腹に、やはり母親ですので翔子さんは泰子さんを無邪気に頼ります。

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金澤泰子は翔子を書道家として育てる決心をする

結婚を機に、金澤泰子さんは書家 柳田秦雲師に再度師事して、本格的に書道の道を究め始めます。

その背中を見て育ったから、というべきでしょうか、金澤翔子さんは5歳の時に筆を持たせると、既に『決まった』スタンスがあったといわれます。

将来的に、うまくなる人というのは風格というかしっかりとした”構え”が最初からあるもののようでして、金澤翔子さんの才能の一端はこの頃から際立っていたのだと思います。

お友達にも恵まれ、小3までは障がい児学級ではなく、普通学級で学んでいたのですが、小4の時に学校から「やはり一般学級では難しい」と宣告され、目の前が真っ暗になったということでした。

それから、母子は引きこもり、数カ月の間 ひたすら終日般若心経の稽古に明け暮れたといいます。

翔子さんの才能も、そもそもあったのだとは思いますが、母親である金澤泰子さんの愛情を伴った英才教育が、後年の翔子さんの才能を開花させる手助けをしていたことは間違いありません。

母親 金澤泰子さんの厳しい指導が結実する日が来る

泰子さんは、やり場のない苦しさのあまり、翔子さんにも必要以上に厳しく指導をしてしまったと後悔しておられる感じです。

ですが、翔子さんは母親の指導に、涙を流しつつも1枚書き終えるたびに「ありがとうございました」と応えていたというのですね。

母親の金澤泰子さんの心情に、翔子さんが応えるべく努力を積み重ね、作品は少しずつレベルアップしていきました。

泰子さんの5歳年下のご主人は、52歳の若さで心臓発作で倒れて帰らぬ人となります。

以降は、母子の結びつきは一段と強くなり、マンツーマンの書道指導がなおなお深まりました。

翔子さんが20歳になったとき、金澤泰子さんは銀座で、翔子さんの生涯一度きりの個展を開くことを決心します。

ですが、この個展には最終的に二千人もの来場者があり、不思議なことに来場者は感動のあまり、涙を流しながら作品を鑑賞されるということでした。

書道家 金澤翔子さんが世に認められ始めた瞬間と言えるのかもしれません。

この語も、NHK大河ドラマの題字を書く仕事を依頼されたり、骨太で 見る人の心を打つ作品が次々と発表されていきました。

母子の強い結束があれば、病気などもなんのその、ということなのかもしれませんが、太くて黒々と書かれた翔子さんの作品は誰の心にも響く、素朴で力強い何かがあるのかもしれません。

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